水野さんに聞きました。
フォトグラファ−ってどんなお仕事?
「物事をより分かりやすくするためのツールである写真を撮る人=フォトグラファ−ですが、職人であり、ジャーナリストであり、アーティストでもあります。現場や仕事の内容によって、その3つの側面の内のどれかが必要とされたり、また組み合わせが必要だったり。報道カメラマンや料理カメラマンなど1つの分野に特化したカメラマンとは異なり、関西のフリーランスには様々な分野のオーダーがあるため、この3つの側面を併せ持つことが必要だと思っています」
−なるほど。ひとえにフォトグラファ−といっても、いろんな側面があるんですね。 それでは、やりがいを感じるのはどんな時ですか?
「それは、職人の時とジャーナリストの時とアーティストの時でそれぞれに違うので、ひとつずつ説明しますね。まずは職人の時。例えば商品の“物撮り”のオーダーがあった時などは、編集者やライターと打ち合わせをして、そのイメージ通りに“作り込んで”行く作業になります。何度も話し合いながら、“注文通り”のいいものができた時はうれしいですね。次にジャーナリストの時。これはやはり“決定的な瞬間”が撮れた時、ということになりますが、舞台や結婚式など、経験によりある程度予測できるものに関しては、その予測がうまく当たって、コレというものが撮れた時はヤッターという感じですね。その他、自然現象や人の表情など予測できないものに関しては、“撮らせてもらえた”という感覚があり、これまた何とも言えずうれしいものです。最後にアーティストの時。実は、アーティストとしての喜び、というものを感じたのは、つい最近のことなんです。4年ほど前に母校の高校が取り壊される、ということを聞いて、これは何とかしなくては!という気持ちに駆られて取り壊される前の学校の姿を撮影することに決めたんです。撮りたいものを、撮りたいように撮る。その快感を感じた初めての経験でした。さらに、その写真集を見た同窓生から、『ありがとう、よくぞ撮ってくれた』と感謝されたり、『自分の記憶の中の学校そのものだ』という感想を寄せられたりしたことも、大きな喜びのひとつでしたね」
−様々なやりがいがあって、とっても素敵なお仕事ですね。
最後に、つらい時はどんな時ですか?
「まず一番は、荷物が重いこと(笑)。だって全部で30kgくらいあるんですよ。それからフリーランスなので、代わりがいない、というのが辛い時があります。体調が悪くても、私にいただいている仕事である以上、よほどのことでない限り誰かに代わってもらうなんてことはできませんからね。アシスタント時代は、私の場合、家業として手伝い始めたので、みなさんが思っているような辛いことはなかったと思います」 |
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水野真澄(みずのますみ)さん
大阪府茨木市出身。短大卒業後、百貨店で5年間勤務の後、元々新聞社のカメラマンだった父親が写真事務所を開いたのを機に、百貨店を退社、家業を手伝うようになる。フォトグラファ−歴20年。現在は雑誌を中心に幅広く活躍、年に1度は個展やグループ展も開催。代表作に、作家の故中島らも氏と飼い猫の日常を描いた「とらちゃん的日常」(文藝春秋社)、取り壊し前の母校の姿を捉えた叙情的写真集「ヒカリノカケラ−記憶の中の春日丘高校本館−」(春日丘高校同窓会)など。 |
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| 現場ごとに毎回違うライターや編集者・クライアントと仕事をしたり、取材で多くの人たちと関わるため、カメラの技術以上にコミュニケーション能力が必要とされる。 |
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