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掃除について面白い話を聞いたことがある。昔の人の掃除法はシンプルで、座敷はきれいに掃き、廊下は水を固く絞った雑巾で拭き、ほこりははたきで落とした。玄関にお茶がらをまいて埃を防いで掃く、などの知恵もいっぱいあった。小さいながらも緊張感と清潔感が漂う家だ。それに比べて、現代人は掃除が下手で、家は片付いていない。何故か。ものが多すぎるからだ、という。掃除以前にしなければならないことがあり、それはものを捨てたり整理整頓することだが、それで手一杯になってしまう。かと思えば、物はそのままで掃除だけしても、いっこうにきれいになった気がしない。
どうするか。人を家に招待するのである。できたら泊ってもらう。すると、半分は仕方なしにではあるけれど、家をきれいにし始める。しだいにエンジンがかかってくる。捨てようかどうしようかと迷っていたものは、この際だから捨てられる。長い間布団を干していなかったな、と休日に布団を干したりする。自分用以外の皿の上にうっすら埃がついているのに気づき、洗う。テーブルクロスを取替え、花を飾り、玄関まわりをすっきりさせる。なんだか家がきれいに見えるから不思議だ。
考えてみれば、普段だってできないことはないのだ。けれどやろうとしないし、できない。気にはなりつつ、散らかっているのを横目で見つつ、ま、いいかと。普段は有意義な時間の使い方なんてしていないくせに、掃除なんぞに一日つかうのはもったいないと思う。たぶん、必要なのはきっかけなのだ。きっかけさえあれば、片付けのリズムはうまれる。
というわけで、私の友人は、月に一度、友だちを家に呼ぶことにした。ランチの後のお茶が多いが、それでも、先月はケーキ、今月は和菓子と変えると、きれいになるもの、片付くものが変わっていいという。先月は銀食器を磨いたし、今月は塗りの銘々皿をチェックするつもり。持ち寄りのパーティも自分の家でやると、ちょっと古い割り箸やら紙皿なども使えていいという。お客さんが帰ったあとは、皿洗いなどは残っていたとしても、すっきり片付いた家で忘れていた「家でのくつろぎ」の大切さを思い出す。
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エッセイスト、政治コラムニスト。1953年生まれ。慶応義塾大学卒業後、女性誌編集部を経て渡米。NY大学行政大学院修士課程修了。近著は『30代は女のベストシーズン!』(扶桑社)、『「だれかいい人いない?」といっているあなたへ』(講談社)など多数。 |
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